日本でトップのパーツモデルであると同時に、妻そして母として家事や育児をこなしながら、自然体の美しさをキープし続けている金子エミさん。
華やかなオーラに包まれ、いかにも「芸能界の人」といった印象の金子さんですが、実際にお話してみると、さっぱりとしていて気取りがなく、それでいてしぐさや表情が本当に女性らしい、女性の目から見てもとてもキュートな方でした。
パーツモデルとして順調にキャリアを重ねてきた金子さんが、結婚・出産・育児という大きな岐路に立たされたとき、選択した答えとは?
“両立”の難しさに直面しながらも、それを乗り越えてきた金子さんだからこそ得られた“答え”について語っていただきました。
また、人気モデルならではの美しい立ち居振る舞いのコツや、主婦を兼業する金子さんならではの「家事をしながら実践できる手・脚のケア方法」のご紹介もありますので、どうぞお楽しみに!


Q1 人生のモットーはなんですか?
人生を振り返ってみて、自分が大切にしてきたことはなにかなと思うと・・・常に前向き、ポジティブっていうことだと思いますね。いろんな意味でポジティブに生きるってすごく大切だなっていうのは、最近改めて感じています。
Q2 今、1週間自由な時間があったら何をしますか?
日本から離れてみたいです。5年前に本を出してから、一度も外国へ行ってないんです。だから、ヨーロッパに行きたいですね。スペインとかフランスとかイタリアとか。今年こそはぜひ(笑)。
Q1 ご自身とっての『♪』な瞬間〜自分にとって幸せ・うれしい・充実感を感じる瞬間〜を教えてください
いろいろありますね。仕事でも感じる瞬間があるし、プライベートでもあるし。仕事だと、人のためになったなあって感じられたり、いっしょに仕事をした方の満足気な顔をみると、「♪」が出ますね。
プライベートだと、やっぱり子どもの成長でしょうか。子どもの成長って著しくて、どんどんいろんなことができるようになるんですよ。だから、たとえば子どもといっしょになにか目標を立てて、それを子どもが達成したときは本当にうれしいです。


─ パーツモデルになられたきっかけはなんだったんでしょうか?
実家がクリーニング屋なんですね。そこで、ときどきレジ打ちのバイトをしていたんです。そうしたら、ちょうどいらした芸能事務所の方に「ここでバイトするより、手タレ(手のタレント=パーツモデル)をやったほうがいいよ」って言われて。
そのときは、「え?なんですか、手タレって?」って感じでしたが。
─ たしかに、今ならともかく、手タレやパーツモデルって以前はそんなに知られている言葉ではなかったですね。
ええ。知らなかったですね。
じつは、もともとこの世界(芸能界)に興味がないわけでなく、中学生のときにはホリプロのスカウトキャラバンを受けたりもしていたんです。ことごとくダメでしたけど(笑)。
それで「へえ。手だけでもできるならやってみようかな」と思い、自分で片手ずつ写真を撮って事務所へ送ったんです。そうしたら、「事務所に一度来て」って言われて。
ところが、事務所に行き応接室に入ったとたん、中にいた人たちが「え〜?!なに?」って雰囲気になったんですね。それで「あれ?挨拶の仕方が悪かったのかな・・・そういえば、業界は“おはようございます”って言うんだった。こんにちはじゃなかった!」って、もう一度挨拶からやり直したんです(笑)。
そうしたら、「そういうことじゃないから。いいから中に入って」と。
そして、「まず、その指輪をとって(手を)見せて」と言われたんです。それで言われた通りに指輪をとったら、そこにくっきり・・・。

─ 日焼けの跡ですか?
そう。じつは当時、エアロビクスのインストラクターを目指して専門学校に行っていたんです。
その頃、エアロビのインストラクターといえばみんな肌を焼いていたんですよ。わたしもすごく日焼けしていて。そうしたら、そんな手でできるわけないじゃない、みたいに言われて。
たぶん・・・(パーツモデルという仕事を)甘く見ていたんですね、わたし。
─ 手の形さえよければできるんじゃないかって?
そう。手がキレイならいけるだろうって。そのとき、やっとそういうことではないってことに気付いたんです。そして、そう言われたことで、逆になんだか燃えてきて・・・。
よし!ぜったい一番になるぞって。
わたしってけっこうそういうタイプなんですよね。
恋愛でも、「これはちょっとだめかも」っていうほうが、よし!って燃える(笑)。
それで、早く日焼けの跡が消えるようにゴマージュ(古い角質や毛穴の汚れを除去するエステ)をしたりして・・・。
そのときから、手に対して顔と同じようにケアをするようになったんです。
あのときダメ出しされなかったら、そんな風に熱心にならなかったと思うんですよね。あれがあったから、すごく意識が高まったというか。

─ そして、モデルになられた・・・
(手のモデルにも)オーディションがけっこうあるんですが、10回行って8回は受かっていました。落ちたことのほうが少なかったかもしれないですね。
─ それはすごい!
基本的にモデルさんってみんなキレイ。キレイは当たり前の世界なんです。
しかも、手や脚って(顔と違って)あまり変わらないですから。差がないというか。
だから、その中で、オーディションに行ったとき、仕事をとるにはどうしたらいいだろうってすごく考えたんですね。
ぱっと見たときの印象はそんなに変わらないだろうな。だとしたら、「ああ、この子に仕事あげたい」って相手が思うようにしなければ、と。
それで、オーディションに行ったら、要求されていることはなんなのかを質問したり、それをすぐその場で演じてみせたりしたんです。
「わたしに仕事をください」「やらせてください」って言ったりもしていました。
あと、オーディションで勝ち残るために手袋に化粧水を吹きかけたり。
わたし、すごい乾燥肌なのでちょっと待っている時間でもそのままにしていると手の状態があまりよくないんです。
でも(オーディションで手を)最高の状態で見せたいから、いつも手袋の手の甲側だけに化粧水を吹きかけて。こっち(手のひら側)にもかけるとふやけちゃうので、こっちだけ。
それも「なんでこの人、こんなに潤っているの?」って思わせるよう、誰にも見られないところで隠れてしていました。
トイレや車の中で秘密に(笑)。
─ 仕事をとるために手の表現力や女性らしいしぐさの工夫もいろいろされたとか。
ええ。でも、手の表現って本当に難しくて。
(手を示して)この中の世界でしかないので、結局「関節をどう使うか」なんです。関節が固いと柔らかい動きができないですから。
たとえば、何かものをとったりするとき、そちらから見てこんな風にひじが開いていると手が短く見えません?
それが、ひじを内側にいれて手首をそらすようにすると長く見える。少し意識するだけで違うんです。これも「関節をどう使うか」。
ビールジョッキをもつなんて一番男っぽい動作ですが、そのときも同じ。(ひじという)関節部分を肩より外にださないようにするんです。

─ ひじを内に入れるだけでこんなに違うものなんですね。
そう。どんな行動でも、肩より外にあまり出さないようにすると女性らしくなりますね。
かばんをもつときもこうじゃなくて、こう。本当に関節の使い方ひとつで変わるんです。
そんな風に、(手自体がキレイなだけでなく)関節・・・手が柔らかいこともとても大事なんです。身体と同じ。だから、手の柔軟体操など、けっこう地道にこつこつやっていましたね。
そうしないといろんな要求には応えられないから。
─ 地道な努力を続ける・・・けっこう大変そうですね。
ええ。なんだか楽しかったですね。普通はあんまり手にこだわったりしないじゃないですか。
わたしはここだけが勝負だったので・・・。でもある意味“ヘンな人”だったかも(笑)。
今思うと、(こだわりすぎて)ちょっと変質的なくらいの生活をしていた気がするから。
─ でも、そういうがんばりとこだわりがあったからこそ、認められた?
きっと、そうだと思いますね。相手にバイタリティを感じさせることができたというか。


─ じつをいうと、手のモデルの方って、ずっと手袋をしていて手を使うのは仕事だけであとはなんにもしないっていうイメージがありました。
そうですよね。結婚する前は、実際そういう生活をしていました。いつもリュックを背負って、カバンも手で持たなかったですし。もちろん手袋も欠かさずしてね。
そのときは、(手が)本当にキレイになりました。なんというか、まるで人間の手じゃないみたいに。
(手袋を)とったとたん、キラーン!って感じでしたから(笑)。
そうやって大事にすればキレイになるってことはわかりましたけど、でもやっぱり結婚して、子どもをもつと、そんな生活はしていられないわけです。
─ そこで仕事か家庭かの選択を迫られたりはしなかったんですか?
なんていうか・・・女性って仕事をしていて、結婚して子どもを、ってなるとなにかをやめなきゃいけないんじゃないかと思ってしまいがちじゃないですか。
でも、わたし、そういう定義が(自分の中に)まったくないんですよ(笑)。やりたいことはぜんぶやりたい、やってみてだめだったら、そのとき考えよう、というタイプ。
だから、主婦もしたいし手タレもやりたい、子どももほしい、これ全部やりたいって。
ただ、うちは長男が障害をもって生まれてきたので、そのときはさすがに「モデルとかそんなこと言っていられないし、仕事はもうどうでもいいや」って思ったんです。一瞬でしたけど(笑)。「辞めます」って事務所にも言ったんですよ。そうしたら、マネージャーが「いや、仕事はいつでも辞められるから」って。
あのマネージャーがいなかったら、たぶんあのとき仕事を辞めていたと思います。
そうしたら、きっと今の自分はなかったと思いますから・・・やっぱり人との出会いって大事ですよね。ほんとに。
実際長男も思ったよりずっと元気で、人とのコミュニケーションをとるのが好きそうだったので、これはわたしと2人だけの世界にしていたら彼にとってよくないと思ったんです。どんどん外に出そうと。それで7ヶ月くらいからあえて保育園にいれたんです。最初は1週間に何回とか1日に何時間だけとかでしたけど。
で、わたしはその間に2時間くらいで終わる仕事からちょこちょことはじめて・・・。家庭と両立しやすい仕事だったという意味では、わたしは環境に恵まれていたと思いますね。
大変だね、とよく言われますけれどそんなこと全然なくて、すごくハッピーだと思っています。
それでも仕事をやめたいと思ったことは正直何度もあります。たとえば・・・。

赤ちゃんを家に置いてパーツモデルの仕事に行ったら、自分の撮影時間まで、何時間もひたすら待つのも仕事の一部なんです。ときには10時間以上待つこともあるくらい。
そしてようやく呼ばれたら、ボタンをピッと押しておわり、という場合も。
大事な赤ちゃんを置いて、10時間も待って、わたしは何をしているんだろう・・・ってね。
でも辞められなかった。
なんで辞められなかったんだろう?
たぶん現場の雰囲気が好きなんだと思います。
みんなそれぞれこだわりをもっていて、ひとつになって、同じ目的に向かって熱くなっている現場。
そういう仕事の場って、なかなかないじゃないですか。あの熱気がたまらないんですね。
ただのパーツモデルでも、その熱気は感じられていたし、その一員として認められていた、だから続けてこられたのかもしれません。
─ パーツモデルになってよかったと思いますか?
ええ。だって、パーツモデルじゃなければ、NO.1にはなれなかったと思うから。


1970年、東京都生まれ。1991年からパーツモデルの仕事を始め、卒業後本格的にその道へ。26歳で結婚。1997年、長男を出産。ダウン症という宣告を受けモデル業を休業するも、その後再開。2004年には次男も出産する。
1991年のモデルスタートから2008年までにコマーシャル100本、雑誌出演・数百本をこなし、現在も現役モデルとして活躍。
近年『スッキリ!!』『おもいっきりイイ!!テレビ』『はなまるマーケット』『中居正広の金曜日のスマたちへ』『レディス4』などに出演し、独自のケア方法が紹介されるなど活躍の場を広げ、パーツ美容研究家・パーツモデル業・二児の母・事業と一人四役をこなす。
著書に『女優脚のつくり方(美人開花シリーズ)』 『お家でおこもりエステ』 (ワニブックス刊)など多数。http://beamie.jp/t/emi_kaneko.html
※平成24年10月1日現在の情報です。















