| それまで、社内では食品部門はお荷物と言われていた。売上も伸びず、もちろん利益も少ない。『ディノス』の花形と呼ばれる家具などと比較すると、売上も利益もまったく話にならなかった。食品畑に長く携わってきた富山は悩んでいた。いつかきっと、食品で『ディノス』に大きな売上と利益をもたらしてやる、そう富山は誓った。 |
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その転機は1996年に訪れる。食管法から新食料法に法律が変わり、米の流通が自由化されたのだ。そこから富山は動き出す。そうは言っても取引先もまったくないゼロからのスタート。まずは、ある商社を通じて米に関する情報収集を始めた。各方面にヒアリングを進めていく中で、商品のターゲットが徐々に明確になっていった。社内では、どこのブランド米を扱うか最終的に2〜3に絞られたが、まだ魚沼産のコシヒカリには決定していなかった。
最後まで、あらゆる可能性を探ろうとしていた。
「妥協のない、一番いいものを売りたい」その一心で富山は産地へ飛び、各産地の農協と交渉を重ねる。自由化の影響と通販の可能性を説いて回っても、最初は誰もが半信半疑。当時は通信販売で米が売れるなど、誰も信じてくれなかったのだ。何回か各産地の農協と交渉を進めていくと、小出町農協(現JA北魚沼)が米の自由化に対し最も危機感を持っており、富山の思惑と一致するのが分かってきた。さらに時間をかけての社内調整後、正式に魚沼産のコシヒカリを扱うことが決定された。
そしていよいよ小出町農協との具体的なツメの交渉が始まる。単なる魚沼ブランドだけでなく、その中でもより上質な米の生産者から限定して供給を得たい富山と、そう簡単には納得しない農協との連日連夜のネゴ。しかし最後には富山の情熱に小出町農協側が理解を示し、晴れて交渉成立。
やった!供給は押さえた。富山に安堵のひとときが訪れる。
しかし、いい商品を仕入れただけで“売れる”ほど、食品販売の世界は甘くない。次なる難関は、販売手法だった。食品は原価率が高く、それゆえ利幅も薄い。普通に売っていては、安売りで勝負しているスーパーマーケットとの価格競争にかなうわけがない。どうにかこの商品を他の商品と差別化して、しかも価格的にも競争力のあるものにできないか。社内では何度も販売手法に関する会議が開かれたが、決定的なものは出てこない。
そんなある日、富山の妻が言った一言が壁を乗り越えるヒントとなる。
「同じ土俵じゃなくて、違う土俵で見せてみたら」
そうだ、これだ! お米は普通5kg、10kgという単位で売られているが、今回は8kg、12kgに設定し、単純な価格比較をしにくくして、しかも毎月月替わりで漬け物や海苔など、ごはんがおいしく食べられる“おかず”をオマケにつけて頒布会にしたらどうだろう。よし、これで勝負してみよう!
そして当日、テレビで魚沼産のコシヒカリが放映されると、嵐のような注文が集まった。電話は鳴りやまず、回線がパンク状態に。富山念願の食品分野、それも米という難しい商品でヒットが生まれた瞬間である。
やった! ついにやったぞ! 食品で、米で、ヒット商品がつくれたんだ。
富山の目には涙がにじんでいた。
この『魚沼産コシヒカリ』は、その年、10数年ぶりの社長賞を取り、翌年には専務賞の栄誉にも輝き、現在もなおロングセラーを続ける大ヒット商品となった。
はたして何がこの大きな成功を生んだのか、その質問に富山はこう答えてくれた。
「今回の成功は、時の運と人の縁が大きかったと思います。社内はもちろん、取引先や生産者、テレビ関係者などから、非常に大きな前向きな力が生まれました。この商品が世に出るまで関わったすべての方々に心から感謝したいと思います」
終始謙虚な富山が、最後にそっとヒット商品づくりの秘訣を教えてくれた。
「ヒット商品は、誰かがその“ありか”を教えてくれるのではなく、自分自身の生活感をもとに、自分が欲しいモノ、惚れ込めるモノを見つけていく中から生まれるのではないでしょうか」
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